またひとつ、きみが遠くへ行く日
関西ジュニアにグループがなくなった時代、ひとりの青年を好きになった。ハタチになる前なのにどこか大人びた、だけど少年のような歯を持つ、正門良規という男だった。
ジャニーズらしからぬスポーツ少年みたいな短髪に惚れてしまったわたしは、その日から彼を追いかけ始めた。
髪が伸び、茶髪にしだした正門くんは気づいたら関西ジュニアのオタクから「リア恋枠」とよばれるようになった。ステージに立っているのに、同じ大学にいそうなリアル感。
当時中学生だったわたしは「そんなの知るかー!」と思いながらNEVERまとめで正門くんの高校や大学を調べたりしていた。あの平成のオタクが全員お世話になったNEVERまとめに、正門くんメインの記事はなくてヤキモキした覚えがある。
結局、正門くんは大学には行っていなかったし卒業アルバムもいまだ流出していない。プライベートが完全に守られているすごいアイドルだ。
(アイドルの個人情報は調べちゃいけません)
正門くんはずっと、はしっこか後ろで踊っていた。そのあいだ、いろんな人が辞めて行った。繰り上がりで真ん中になったりすることもなく、空いたその位置に入所したばかりのルーキーが入ったりした。
端っこでも後ろでも、彼はステージに立つことをやめなかった。だからわたしも、そんな彼のオタクをやめなかった。正門くんがステージに立つ限りオタクでいようとおもっていた。
なにわ男子ができたあたりで、その「限り」が見えた。いままで見えなかったわけではない。いろんな人がやめて、関ジュのメンバーが変わって行くたびに、春松竹が終わるたびに、次は正門くんかもしれないとヒヤヒヤした。そのヒヤヒヤを笑うように、正門くんはどんどんフライヤーの位置を確立していった。アナザーもクリパも春松竹も、少年たちも。(気になる人は2015年のクリパからフライヤーを見て行って欲しい。毎年ちゃんといるから。)
ラジオのレギュラーをもらって、メインのメンバーとオリ曲をもらって、あのころの正門くんはなんかすごい大きくなっていた。これはデビューに近づけているんじゃないか、とわくわくしちゃうくらいにはノリに乗っていた。
そんなときできたのがなにわ男子だ。ラジオのメンバーも、オリ曲をもらったメンバーも選ばれたグループに正門くんは選ばれなかった。
高いところから突き落とされた気分だった。
あれはなんだったんだ、と悔しくてめちゃくちゃ泣いた。夢を見せておいてそんな仕打ちひどい、とどこに向ければいいかわからない怒りをずっと持っていた。
そんなことしたら、正門くんがやめちゃうじゃないか。どうしてくれるんだ。
だけど、正門くんはステージに立ち続けてくれた。
2019年の春松竹、フライヤーにデカデカと乗る正門くんを見てすごくうれしくなった。こんなに大きく乗ればやめることはないかもしれない!とおもった。ふしぎな並びだなぁと眺めていたフライヤーだったけど、その並びはAぇ! groupという形になった。
いま思えば、彼らはみんな選ばれなかった経験がある人だった。正門くんといっしょにオリ曲を歌っていた小島くんも、スパロケで唯一残った晶哉も、F8だったリチャ末も、いまはいない大晴も、自分の横にいた人がいなくなる経験をした人たちだった。
グループを結成したあとの彼らはずっとがむしゃらだった。前に前に、ととにかく走り続けていたように思う。
Aぇ! groupが認知され出したここ数年、彼らを「事務所に推されている」と表現する人が結構いて、わたしは感動した。彼らは全員、その言葉から程遠い場所からスタートしている。なんならどちらかというと「推されない側」だった。にもかかわらず、がむしゃらに走り続けた結果外から見たらそう見えるくらいに大きくなったのだ。なんてかっこいいジュニア。最高すぎる。
そんな彼らが、今日、念願のCDデビューを果たした。本人たちもオタクも大きな声で言えなかったデビューの目標を、彼らはその手で掴んだ。6人でスタートしたあの形のままじゃないけれど、思い出を引き継いで彼らは長いアイドルグループの道を改めてスタートした。
正門くんはグループに入っていないころ、デビューしたいという意思をあまりわたしたちに伝えなかった気がしている。長年オタクをしていたわたしも、彼がなりたいものが何なのか、Aぇができるまでわからないでいた。
だけどグループができて、デビューしたいと言ってくれて、ずっとそれを夢見ていたと打ち明けてくれて、はじめて正門くんを知れた気がした。
正門くんが「リア恋」と言われるたび、わたしは悔しかった。こんな素敵なアイドルが大学にいそうなわけないじゃないか、と憤った。「大学にいそうなのにアイドル」なんて、悪口だとおもっていた。
だけどさいきんは「アイドルなのに、親しみがある」というマイルドな意味合いに変わっているような気がするのでにこにこしている。
正門くんは、たしかに身近にいそうな振る舞いをしてくれる。だけど、もっと遠くにいてほしい。松竹座と客席の距離から、アリーナと客席の距離、ドームと客席の距離。そうやって、もっと遠い存在になってほしい。
世界のどこにいても遠くの月が見えるように、たくさんの場所から応援されるアイドルになってほしい。
わたしはやっぱり、正門くんがステージに立つ限りオタクをするから。
正門くんのこれからのアイドル人生が楽しく幸せなものでありますように。
長くなったけどあらためて、デビューほんとうにおめでとう。
それぞれのオタクも、ほんとうにおめでとう。
Aぇ! groupのイナズマで救われたジャニヲタの話
中学校から付き合いのある旧友と「ジャニヲタが死語になるのかな」という話をした。
彼女とわたしが仲良くなったのは紛れもなくお互いがジャニヲタだったからで、まだ”焼け野原”と言われていた関西ジャニーズJr.がドームを埋めるくらい大きくなるまでいっしょに見ていた大切なオタク友達だった。
当時、ジャニーズという絶大な枠がこんなことになるなんて思いもしなかった。それはきっと、わたしだけじゃない。友達も、全国のジャニヲタも、たぶんジャニヲタじゃない人も。
生まれたときからジャニヲタで、ジャニヲタ以外の生き方を知らないのでわたしはこのことについて客観的に話すことができない。どうしてもジャニーズ事務所が育てたアイドルを好きなオタクとしての意見しか言えない。
こういうジャニーズ事務所を全否定できないオタクのことをひっくるめて、オタクじゃない人は「宗教的だ」と言う。ジャニーズに救われた、と言うそのすべてが、カルト宗教といっしょだと、そう言われる。
たしかにそうなのかもしれないな〜、と客観的に見ることを頑張ったわたしは表面では納得できる。教祖であるジャニーズ事務所からの供給によって勝手に救われるその図は、たしかに宗教と似ているのかもしれない。
ただ全否定できないジャニヲタを共犯者だと言うのはちょっとやめてほしい。だってわたしたちはジャニーズ事務所所属のアイドルに救われたというだけであって、その救ってくれたアイドルが悲惨な被害を受けてまでそこに立っていたかもしれないと急に言われて、結構動揺しているのだ。
だいすきな笑顔が、だいすきな歌が、だいすきなパフォーマンスが、途端にちがう意味を持ってしまった。それがどれだけ苦しいか、そちらもちょっとだけ客観的になって考えて欲しい。
わたしの推しは、ステージの端で小さい子と踊っているような、そんな子だった。マイクも与えられず、袖がない衣装で、キラキラな衣装を着ている同期のバックダンサーとして踊っていた。
彼が自分の武器であるギターを演奏するようになり、ソロパートを歌うようになり、演技に挑戦してドラマにオファーされるようになり、関西ジュニアの真ん中に立つようになったころ、彼も所属するグループができた。
ぜんぶ、彼が彼なりの戦いかたで手に入れた地位だった。
それが何も知らない人に「被害を受けたからある立ち位置」と言われるのがわたしは許せなかった。ジャニーズには普通の青春を諦めてアイドルになろうとしてくれた子たちがたくさんいる。それをそんな一言で片付けて、薄っぺらいものにされるのが苦しくてたまらなかった。
この騒動が起こる前、彼らのグループが週刊誌によってデビュー間近であると報道された。レコード会社とも契約をし、デビュー曲も決まっている、と。当時「本人の口から聞くまでは信じない」と言っていたけれど、結局本人の口から聞く前にこんなことになってしまった。
この情報がデマだったとしても、彼らがあとすこしで夢への一歩を掴めたのは事実だと思う。彼らだけじゃない。いくつかのJr.グループが、あとすこしでデビューの位置にいた。
だけど、こんな状態になってしまってはきっとしばらくデビューができない。
デビューをしても、彼らは心ない攻撃の対象になってしまう。
ジャニーズに憧れた彼らが、ジャニーズであることで糾弾を受ける。
ジャニーズじゃないほうが幸せかもしれない。ただ好きなようにギターを弾いているほうが幸せかもしれない。そう思っていたときに、推しのフェス出演があった。
世間がジャニーズ叩きに力を入れているいま、ジャニヲタだけじゃない空間に出るのがまだデビューもしていないJr.の彼ら。
ずっと出たいと言っていたフェスに出られるのに、喜びだけじゃないのがいやだった。
10月9日。
彼らは登場した瞬間「アイドルをやっています」と言った。最大限のアイドルを掲げてパフォーマンスをした。フェスのステージに立つ彼らは最高で最強のアイドルだった。わたしは、これが、このアイドルが好きなんだと泣いてしまった。
彼らの出番も終盤になったころ、曲の煽りで「俺たちのプライドを掲げて立ち向かうから」という言葉があった。それは初参戦のフェスに対してかもしれないし、会場にいるファンじゃない人に向けての言葉かもしれないけど、ハッとさせられる言葉だった。
彼らは彼らのプライドでそこに立っている。それはその場所を見ているだけのわたしたちには到底計り知れないもので、干渉できない。プライドがあって生まれたそのパフォーマンスを受け取るだけのわたしたちは、素直にそれを受け取って反応することだけが彼らのためにできることなのかもしれない。
わたしたちは彼らのプライドを守ることなんて大層なことできないけど、彼らが立っている姿を応援することがオタクである自分のプライドなのかもしれない。
アイドルを続けてくれることを約束してくれた彼らに、わたしもプライドを掲げてオタクをしようと決めることができた、そんなフェスだった。
ありがとう、イナズマロックフェス、ありがとう、Aぇ! group、ありがとう西川貴教さん、
そしてなにより、たくさんの思い出をありがとう、ジャニーズ。
これからもきっと、よろしく。
初めて酔っぱらった推しを見たときに読む話
とても長い、愛ある駄文
○わたしの推しの話
生まれてからずっと、ジャニーズが好きだった。テレビで歌って踊って、ライブに行ったら大きなステージでパフォーマンスをする、そんなアイドル。事務所が大きくて、たくさんのステージが用意されるトップアイドル事務所。わたしはその中でも、端っこの方に追いやられながらハングリー精神で立っているアイドルが好きだった。だから関西のジャニーズを好きになって、関西ジャニーズJr.を応援し始めるようになるのは必然だったのだと思う。
まあ、今回ここで話す「推し」はジャニーズではないので関ジュのことは一旦置いておこう。事務所に推されていない人を自分で見つけて応援する、という関西ジャニーズJr.で教わった楽しさは、わたしをインディーズへと連れて行った。
インディーズバンドに手を出し、歌い手に手を出した。自分で言うのも憚られるが、わたしは意外と見る目があるのかもしれない。好きになった当時、登録者1000人ほどだったバンドも歌い手も、わたしが応援し出してしばらくするとぐんぐんと人気になった。「わたしが育てた」と錯覚してしまうくらいには、わたしの読みは結構当たった。そんなデカいこと大きな声では言えないけど、ここではちょっと言ってみようと思う。
先述したとおり、わたしは「端っこに追いやられながらもハングリー精神で立っている」人間が好きなのである。一気に人気がでて有名になった人間が、その心をまだ持っていると思うだろうか。答えは、当たり前にNOだった。推しの鼻が伸びるのを感じながら、そこから引っ越すようにわたしはいろんな場所へ移って行った。
そこで出会ったのが「音楽系VTuber」である。歌い手界隈から逃げた先だった。
誤解を生んでしまう前に言っておくが、わたしは逃げてきた界隈を批判しているわけではない。どの界隈も、めちゃくちゃに楽しい。ただやっぱり、根本的な合う合わないがどうしてもあるのだ。逃げてきた場所と今の場所を比べてしまうのは、ついつい元彼と今彼を比べてしまうような、なんというか人間のサガなのである。これから先の文章でちょっと比べてしまうので、そこらへんは許してほしい。
歌い手の彼と出会った去年の春、わたしは狂ったように彼に執着し、彼を追いかけた。シチュエーションボイスの台本を書いて送り、毎日DMを送り、この曲を歌ってほしいと専用タグをつけてツイートした。専用アカウント(歌い手界隈だけかはわからないが、推しだけをフォローし、推しだけにフォローされた非公開アカウントがあった)も作った。彼の沼に、ずぶずぶとハマっていた。ただ、わたしのダメだったところは彼の歌がそんなに好きじゃなかったというところだった。彼は歌い手なのに。毎週火曜日と金曜日の夜にしていた配信で時折出る笑い声が好きだった。それ以外は(キャラの絵柄とか歌声とか売り方とか)あんまり好みではなかった。全部、いまだから言える話。
あのときはたったひとつの笑い声がわたしの中で大きくて、それだけで彼を推していた。すごくない? 普通に。なんか一周回ってキモいかも。
あの界隈で出会った友達はとても優しくて、かわいくて、その子たちに会うためにライブにも行っていた。一番最初に行ったライブで最前を引いてしまったというのも、しばらく彼から離れられなかった要因だと思う。
ただ、彼は「歌い手」だった。朝起きれば絵文字がたっぷりついたにゃんにゃんおはツイ(おはようツイート)をするし、突然「きみのことをずっと考えてる」とか言うツイートもするし、配信で愛の言葉を囁くし、なんかそれがちょっと、自分の肌に合わなかった。これは全部、わたしの責任。わたしの許容が狭かったせいである。
また、彼はグループを組んでいて、たびたび「俺らはアイドルだから」という言葉を使った。最初に述べたとおり、わたしは生まれたときから純度100%のジャニヲタである。「アイドル」? 何度もライブに足を運んだが、ダンスもファンサービスも到底アイドルとは言い難いものだったので、こればっかりは受け入れられなかった。ごめん。これもたぶん、わたしの許容の問題。器が小さかった。
こうして、笑い声だけで賄っていた彼の魅力より「なんか違うかも」が大きくなってしまって、だんだんと彼を見れなくなった。配信中にたくさん投げられる投げ銭もホストのシャンパンにしか見えなくなって、あれれ〜、どうしよう、となっていたときに出会ったのが「音楽系VTuber」である。
本題までが長すぎて、大半が元推しの悪口になってしまったこと、ごめんなさい。でも悪口って弾むものじゃないですか。許して、ぎゅ。(元推しのツイートの真似)
あ、大事なことを言っておかなければならない。今から話す最高の推しは“誰かを下げなければ褒められない”なんてことはない。わたしが元推しを書いてしまったばっかりに、そんな捉え方をされたらちょっと困る。またわたしの罪が増えた。でも元推しの愚痴は本当に聞いて欲しかったんだ、誰かに……。
ごめん。まじで最高にかっけー男の話を今からします。
○MZMの話
そもそも、VTuberにハマったのも歌い手の彼がいたからである。あー、また悪口言っちゃう、ごめんね。君の名前は出さないから安心してくれ。
元推しは、おもしろくなかった。楽しそうに話すんだけれど、まじで、おもしろくなかった。彼に狂っていた時期も、本気で彼と繋がって新喜劇に連れて行こうかと考えていたくらい、おもしろくなかった。関西のジャニーズが好きだった分、おもしろさがないと物足りなかったわけだ。それか下ネタ。おもろい下ネタ大好きなもんで……。でもそれもなかったの! だって彼らは自称「アイドル」だから! 下ネタ言いかけて「アッ」ってパニクっちゃうような子だったんです! ウブかよ!
落ち着こう。ごめんなさい。
まあ、そんなこんなで彼に疑問を抱いていた去年の12月始めに出会ったのがMonster Z MATE なのである。
彼らは二人組の音楽ユニットで……ごめん、新参者すぎて説明するの難しいからとりあえずWiki をみてくれると助かる。
30代前半という、まあおじさんの彼らはなんというか、めっちゃおもしろい人たちだったのだ! たぶん、わたしの好みというだけだったんだけど、みんなも想像してみてほしい。いま付き合っている人に対して「うーん」という思いが増えていたときにドンピシャ好みのオモロ男性が現れてみろ! どーん! ズッコーン! ですよ。
初めて見たMonsterZ MATEの動画
めっちゃ下ネタ言う! 話の進め方おもろ! え、絶対お笑いすきじゃん!? なにこの人ら!
と、歌い手の彼の配信そっちのけで動画を見漁り始めたわけである。
倦怠期だった歌い手の彼との関係に亀裂が走ったのは年末だった。わたしは毎年M-1グランプリを楽しみにしている人間で、その日はM-1決勝戦当日だった。敗者復活戦から見るわたしはお昼からすべての準備を済ませ、テレビの前で一喜一憂、プロの芸人さんによるエンターテインメントを楽しんでいたわけだ。そんなとき、歌い手の彼からの通知が来た。おや、なんだろうとCM中に見ると「ねえ、今日もきみのこと考えてどきどきしちゃった」とかいうツイートで。
あぁ、やっぱりこの人はお笑いなんて見ないよねー、と思った瞬間、今度はMZMのコーサカさんのツイートが流れてきた。
ハイツ友の会で急いでマイク音量ギリハウらないように上げてくれた音響さんありがとう……
— コーサカ@8/20ライブ (@mzm_kosaka) 2022年12月18日
見てる! しかも敗者復活戦から! ワア、ワア……とわたしはちいかわのような声を出すことしかできなくなってしまった。最高だった。お笑いを見て、お笑いをおもしろいと言う彼らはきっと、いや絶対、おもしろいと思って、本格的に応援し始めたわけである。
彼らの大元は音楽系VTuberで、そんな彼らの音楽活動はすさまじかった。普通にまじで、良い。もともとない語彙力がもっとなくなるくらいにはヤバい。なんというか、洗練された情熱だった。正しいかどうかはわからない。なにぶん去年の暮れからの新参者だ。言ってることをあまり間に受けないほうがいい。
新規のわたしがぶん殴られた曲はこんなところだろうか。最新の「メイトなやつら」もめっちゃいいけどそれはまた別の話にもなってくるので一旦置いておく。
元推しとの清々しい別れを経て、わたしは最高のユニットにであったわけだ。
○浮遊信号 esora umaの話
MonsterZ MATEの曲を漁っていて超好み! となったのがこの「StarZ」という曲だった。
歌詞が、良い。曲もいいんだけど。まじで好き。そんなStarZを書いたesora umaにわたしは徐々にハマることになる。
浮遊信号も音楽ユニットで、StarZを作ったesora umaが曲の大半を書いていた。(同ユニットのあとり依和ちゃん作詞のカルトという曲もめっちゃいい)
漫画や小説を読む人には“好みの作家”がいるように、音楽も“好みの歌詞を書く人”がいると思う。単純に言うと、esora umaはわたしの好みドンピシャの歌を書く人だった。
今ある自分の環境と精神状態に刺さった歌が『凡能少年Re』だ。1分41秒という短い歌なのに、刺さってしばらく抜けなかった。自分自身に叫ぶように歌うesora umaに感染するように、わたしも「拝啓本当の僕よ」と考えていた。数えられるほどしかなかった「曲を聴きながら泣く」という経験を久々にした。
この人のことばの使い方が好きだと思って、速攻でサブスクをあさり、CDも買った。今までインディーズの人間を見つけてきたときと全然違う「その人が作り出す音楽」に夢中になった。そして、こんなに刺さることばを使って音楽をつくるesora umaとはどういう人なんだろうと気になった、というすこし違った経路で浮遊信号にハマっていった。Twitter(いまやXなのか)をフォローし、チャンネル登録をし、歌い手の彼のときにお世話になったツイキャスでumaくんをフォローした。
驚いたのは、配信の時間帯だった。歌い手の彼のとき、配信の時間帯は事前に伝えられていて、比較的たくさんの人が見れるような時間に設定されていた。だけどumaくんは深夜の3時などに配信を始めたりしていて、わたしは本当にびっくりしたのだ。「そんなんじゃ投げ銭(ツイキャスではお茶)がもらえないじゃないか!」。そう思ったのと同時に彼は投げ銭が欲しくて配信をしているわけではないのか……と感心した。すごい、これがあの彼との差か……。そうだよな、だってこの人はただ歌うだけじゃなくてつくって届けてくれるんだもんな……。
音楽を褒められるための道具として使っているあの彼(脚色しすぎだけどわりと合ってると思う)とちがって、音楽と真摯に向き合っているようなumaくんだからこんなに素敵な曲がつくれるのか、と思って妙に納得した。
なんでこんな長々とesora umaについて話すために書いたかというと、これを書いている今がesora umaの配信終わりだからである。
深夜0時半から始まった”酒を飲みながらの雑談配信”で、彼はいろんな“内側”を話した。今の彼の核となっているとわかってしまうくらい、“内側”の話。アルコール度数15%の日本酒をグイグイ飲んでいた彼は学生のときのとある担任が嫌いだったことや、その関係もあってすべてが嫌になって助けを求めるように仏壇の前で寝ていたことや、朝ごはんを食べながらお父さんの前でぼろぼろと泣いてしまったことを話した。
10年以上前に亡くなったおじいさんの話をしながら泣き出した彼の声を聴きながら、あぁわたしはこの人と、この人がつくる音楽に出会えてよかったなと心から思った。
そのあとでわたしの一番だいすきな曲「ほんとのところ」について言及しているところもあったのだけど、これはまた別の機会にまとめようと思う。
アイドルを見て育って、ハングリー精神だらけの人間を好きになってきた。だけど、自分の精神状態や目標へ向かう足が停滞しているいま、そんな彼らのギラギラが眩しすぎて、苦しかった。今までは糧になっていたはずの存在が、自己嫌悪を悪化させる存在になりかけた。
esora umaが書いて浮遊信号が歌って届けてくれる曲は、わたしを応援しない。あくまでも彼らの歌で、それをわたしが勝手に自分に置き換えて聴いている。それが、とても心地よかった。無理やり「がんばれ」なんて言わない。「あなたは頑張っているよ」と慰めたりしない。そんな歌を書くesora umaの「ほんとのところ」を今の配信で見た気がして、わたしはたまらなくなってこうして筆を取ったわけだ。ほら、お酒は本性を見せるなんて言うし。
長々となってしまったが、これはヤマもオチもない、初めて推しが酔っ払い、推しの核の部分をちらりと見てしまったわたしへの記録だ。まあ、興奮しているのだ。深夜3時半。ベロベロに酔っぱらったumaくんは寝落ちしながらも配信を終わった。
泣きながら十数人の視聴者に向かって配信をした彼は、朝ごはんを食べながらお父さんの前で泣いた彼とどういっしょでどうちがうのか。
「じいちゃんが大好きだった」と言う彼の中に、人へ向ける気持ちがどうあるのか。
暖かくて刺さる曲に、それ節々が見えるような気がして、寝る前に浮遊信号の曲を聴いた。わたしを支える彼の歌が、彼自身も支えているといいなと思った。
今夜、彼が幸せな夢を見られますようにと心から願う。
「ほんとのところはさ 生まれたことが怖くてたまらないよ
だけど歌ってるよ 終わりなんて来なけりゃいいのに」
(ほんとのところ/浮遊信号)
追伸:なんだか感動っぽいことになってしまったので最後にこれを貼って締めよう。
大人になるということはオタ卒をするということか
あれはまだ、わたしが小瀧望のことを「のんちゃん」と呼んでいた頃。
AAAオタクだった親友をジャニーズの沼に引き摺り込んだのは中学生の時だ。
生まれてこの方ジャニーズが好きだったわたしの話を聞いた彼女はまず藤井流星にハマった。
ラッキー!ツインタワーでオタクできる!と思ったのも束の間、彼女は藤井流星という男を沼の入り口に置いて、奥に隠れていた重岡大毅という男の沼に思い切り潜ってしまった。
わたしは重岡大毅のことを「しげ」と紹介したのだけど、彼女はずっと「しげちゃん」と呼んでいた。
わたしの近くではしげ呼びしかいなかったので、それは彼女だけの可愛い呼び名だった。
中学生という右も左も分からない子供だったけれど、あのときのわたしたちは間違いなく「ガチ恋」をしていた。
情報垢も繋がることも知らないわたしたちは、とにかくまとめサイトで並べられた出身校を見て制服を調べたり、サジェストに出てくる女の名前を検索しては病んだりして、その度にふたりで泣いた。
泣いて泣いて泣き切ったあと「こんなに泣いてることもこいつら知らないんだよ」と言いながらライブDVDを見るのがいつものことだった。
「オタ活」という言葉がまだ頻繁に使われていない時代(使われていてもカラオケやジャニショなどに行くくらいのレベルだったと思う)、
わたしたちはプリクラに推しの名前を落書きしたり、新曲のユニットに合わせてポーズをとってみたり、今思えば中学生っぽいオタ活をしていたと思う。
大人になった今、おしゃれなカフェで中学生くらいの女の子がアクスタを並べているのを見ると少しびびる。
この時代に中学生をやっていたらこうしてたかな? と考え、すぐに無理だなと悟って悲しくなる。
そもそもアクリルスタンドなんてなかったし! たぶん。
少なくとも推しにはなかった。
公式写真が大量に入ったファイルを持ち歩いていたあの時代よ、伝説になれ。
音楽番組で女性アイドルグループと共演したときに勝手に病んだ。
そのグループのファンであるクラスメイトの男の子と喧嘩した。
学年のほとんどに「小瀧って呼べば返事する」「重岡って呼べば返事する」と言って回って自分のあだ名を推しの名前にした。
当時は将来本当にその名字になるつもりで言っていた。
重岡と小瀧というふたりとも珍しい名字だったから中学校に同じ名字がいなくて、かろうじていた「藤井」と「中間」が羨ましかった。
名札をもらいたかった。
わたしは小説家になりたくて、親友は歌手になりたくて、違う夢だけど同じ場所にある夢の近くに、推しがいる気がしていた。
ライブに行くたび彼女は「絶対あっち側に立ってやる」と言っていたし、推しが出演したドラマを見るたびわたしは「絶対わたしの話を演じさせてやる」と思っていた。
大人から見たら子供の戯言だっただろうけど、当時のわたしたちは本気だった。
彼女が違う界隈にハマったのは高校が別々になってからだった。
掛け持ちから始まったそれはどんどんジャニーズを侵食していった。
彼女から「しげちゃん」が少なくなっていくにつれて、わたしののんちゃん呼びも薄くなり、同時にガチ恋も終わっていった。
わたしはジャニーズWESTが好きだった。
だけど、きっと親友は「重岡大毅」が好きだったんだと思う。
まだロックを知らない、型にはまりきらない、だけどかっこいいセンターの重岡大毅。
親友は、ロックを知った重岡大毅を知らない。
熱量に任せてステージの上で叫ぶ重岡大毅を知らない。
見る前に、オタクをやめてしまった。
それからしばらくはわたしがジャニーズWESTの話をしても、侵食された界隈の話にすり替えられる日々が続いた。
やっぱり基礎がちがうよね。所詮日本のアイドルだもんね。
やめてくれと心から思った。
わたしたちが愛したあの瞬間を、なかったことのように振る舞わないでくれ。
あのとき初めて二人で行ったコンサート、初めて二人でもらったファンサービス。
あのときわたしたちはこの世で一番幸せ者だと言い合ったじゃないか。
それを、夢だったように振る舞わないでくれ。
簡単に、わたしとの思い出を消さないでくれ。
大人になっていくたび、彼女は普通になっていった。
歌手になりたいと言っていたことも忘れたように、流行りの曲を卒なく歌う若者になった。
わたしは、まだ当時誓った約束に縋っているのに。
一緒に向こう側に行こうと約束したあの日から、ずっと小説家になることしか考えていないのに。
置いていかれた気分だった。
オタ卒をして、夢を諦めて、普通の大学に通う彼女が一番正しい生き方なら、わたしは大幅に間違った道を歩いていた。
わたしが悪いのか。
この歳になってもアイドルを推している自分がいけないのか。
叶うかわからない夢を見続けている自分が悪いのか。
何度も思っては、そのたびに自分がオタクを卒業するのは無理だろうと思った。
生きていく中で、小説を書くことをやめたくなることが何度もあった。
小説なんてものに縋らなかったらどれだけ幸せだろうと一人で泣いた夜がいくつもあった。
諦めよう、忘れようと思うたび、推しを見て自分を奮い立たせてきた。
わたしにはこれしかなくて、これでどうしても向こう側に立ちたいのだと、彼らの笑顔やパフォーマンスを見て思い起こした。
間違いなく彼らに生かされた十年間をわたしは捨てることはできない。
歌うことをやめた親友を見るたびにわたしはそっちに、「大人」の方にいきたくないと強く思う。
親友はオタ卒をしたわけだけど、わたしは親友に推しの話をすることをやめなかった。
どんなにすり替えられても、貶されても、あのときを忘れて欲しくなかった。
たとえ彼女の中で古い過去の話であったとしても、「そういえばそんなことあったよね」と済ませるような過去にしたくなかった。
今では子供の話を聞くお母さんのように聞いてくれるのでありがたく思っている。
重岡大毅の話をしたときに彼女の口からふと出てくる「しげちゃん」が好きだ。
彼女の中での重岡大毅はあの頃のしげちゃんで止まっている。
あのとき、大好きだったしげちゃん。
それでよかった。
あのときを忘れないでいてくれたら、それだけでよかった。
二人でガチ恋をしていたあの頃、今思うとあれは恋ではないけれど、確かに彼らに焦がれてはいた。
誰もが通るかもしれないガチ恋とオタ卒。
話題になることがあるけれど(キモいとか、生産性がないとか)迷惑をかけなければなんでもいい、と思う。
SNSでアイドルにガチ恋をしている子を見かけるたび、この子はいつか大人になってしまうのだろうかと心配になる。
完全にいらぬ心配なのだけど。
けれどもしガチ恋を卒業しても、オタクを卒業しても、あのときあの人を好きだったこと、は忘れて欲しくないなと勝手ながらに思っている。
ガチ恋をしていたあの頃、わたしの世界は間違いなくキラキラしていた。
可愛くなりたいと思った。
良い人間になりたいと思った。
たくさん泣いたし病んだけど、親友とキャッキャ言い合う時間は最高に楽しかった。
きっとこれから先、わたしはガチ恋をすることはないと思う。
大人に、なってしまったので。
だけど、わたしはずっとあの頃のキラキラを覚えておくと決めている。
わたしはそのキラキラを握りしめて、明日も夢に縋り付くのだ!
____もう忘れちゃったの? あんな大事な約束を
もう失くしちゃったの? 輝く宝物____