大人になるということはオタ卒をするということか
あれはまだ、わたしが小瀧望のことを「のんちゃん」と呼んでいた頃。
AAAオタクだった親友をジャニーズの沼に引き摺り込んだのは中学生の時だ。
生まれてこの方ジャニーズが好きだったわたしの話を聞いた彼女はまず藤井流星にハマった。
ラッキー!ツインタワーでオタクできる!と思ったのも束の間、彼女は藤井流星という男を沼の入り口に置いて、奥に隠れていた重岡大毅という男の沼に思い切り潜ってしまった。
わたしは重岡大毅のことを「しげ」と紹介したのだけど、彼女はずっと「しげちゃん」と呼んでいた。
わたしの近くではしげ呼びしかいなかったので、それは彼女だけの可愛い呼び名だった。
中学生という右も左も分からない子供だったけれど、あのときのわたしたちは間違いなく「ガチ恋」をしていた。
情報垢も繋がることも知らないわたしたちは、とにかくまとめサイトで並べられた出身校を見て制服を調べたり、サジェストに出てくる女の名前を検索しては病んだりして、その度にふたりで泣いた。
泣いて泣いて泣き切ったあと「こんなに泣いてることもこいつら知らないんだよ」と言いながらライブDVDを見るのがいつものことだった。
「オタ活」という言葉がまだ頻繁に使われていない時代(使われていてもカラオケやジャニショなどに行くくらいのレベルだったと思う)、
わたしたちはプリクラに推しの名前を落書きしたり、新曲のユニットに合わせてポーズをとってみたり、今思えば中学生っぽいオタ活をしていたと思う。
大人になった今、おしゃれなカフェで中学生くらいの女の子がアクスタを並べているのを見ると少しびびる。
この時代に中学生をやっていたらこうしてたかな? と考え、すぐに無理だなと悟って悲しくなる。
そもそもアクリルスタンドなんてなかったし! たぶん。
少なくとも推しにはなかった。
公式写真が大量に入ったファイルを持ち歩いていたあの時代よ、伝説になれ。
音楽番組で女性アイドルグループと共演したときに勝手に病んだ。
そのグループのファンであるクラスメイトの男の子と喧嘩した。
学年のほとんどに「小瀧って呼べば返事する」「重岡って呼べば返事する」と言って回って自分のあだ名を推しの名前にした。
当時は将来本当にその名字になるつもりで言っていた。
重岡と小瀧というふたりとも珍しい名字だったから中学校に同じ名字がいなくて、かろうじていた「藤井」と「中間」が羨ましかった。
名札をもらいたかった。
わたしは小説家になりたくて、親友は歌手になりたくて、違う夢だけど同じ場所にある夢の近くに、推しがいる気がしていた。
ライブに行くたび彼女は「絶対あっち側に立ってやる」と言っていたし、推しが出演したドラマを見るたびわたしは「絶対わたしの話を演じさせてやる」と思っていた。
大人から見たら子供の戯言だっただろうけど、当時のわたしたちは本気だった。
彼女が違う界隈にハマったのは高校が別々になってからだった。
掛け持ちから始まったそれはどんどんジャニーズを侵食していった。
彼女から「しげちゃん」が少なくなっていくにつれて、わたしののんちゃん呼びも薄くなり、同時にガチ恋も終わっていった。
わたしはジャニーズWESTが好きだった。
だけど、きっと親友は「重岡大毅」が好きだったんだと思う。
まだロックを知らない、型にはまりきらない、だけどかっこいいセンターの重岡大毅。
親友は、ロックを知った重岡大毅を知らない。
熱量に任せてステージの上で叫ぶ重岡大毅を知らない。
見る前に、オタクをやめてしまった。
それからしばらくはわたしがジャニーズWESTの話をしても、侵食された界隈の話にすり替えられる日々が続いた。
やっぱり基礎がちがうよね。所詮日本のアイドルだもんね。
やめてくれと心から思った。
わたしたちが愛したあの瞬間を、なかったことのように振る舞わないでくれ。
あのとき初めて二人で行ったコンサート、初めて二人でもらったファンサービス。
あのときわたしたちはこの世で一番幸せ者だと言い合ったじゃないか。
それを、夢だったように振る舞わないでくれ。
簡単に、わたしとの思い出を消さないでくれ。
大人になっていくたび、彼女は普通になっていった。
歌手になりたいと言っていたことも忘れたように、流行りの曲を卒なく歌う若者になった。
わたしは、まだ当時誓った約束に縋っているのに。
一緒に向こう側に行こうと約束したあの日から、ずっと小説家になることしか考えていないのに。
置いていかれた気分だった。
オタ卒をして、夢を諦めて、普通の大学に通う彼女が一番正しい生き方なら、わたしは大幅に間違った道を歩いていた。
わたしが悪いのか。
この歳になってもアイドルを推している自分がいけないのか。
叶うかわからない夢を見続けている自分が悪いのか。
何度も思っては、そのたびに自分がオタクを卒業するのは無理だろうと思った。
生きていく中で、小説を書くことをやめたくなることが何度もあった。
小説なんてものに縋らなかったらどれだけ幸せだろうと一人で泣いた夜がいくつもあった。
諦めよう、忘れようと思うたび、推しを見て自分を奮い立たせてきた。
わたしにはこれしかなくて、これでどうしても向こう側に立ちたいのだと、彼らの笑顔やパフォーマンスを見て思い起こした。
間違いなく彼らに生かされた十年間をわたしは捨てることはできない。
歌うことをやめた親友を見るたびにわたしはそっちに、「大人」の方にいきたくないと強く思う。
親友はオタ卒をしたわけだけど、わたしは親友に推しの話をすることをやめなかった。
どんなにすり替えられても、貶されても、あのときを忘れて欲しくなかった。
たとえ彼女の中で古い過去の話であったとしても、「そういえばそんなことあったよね」と済ませるような過去にしたくなかった。
今では子供の話を聞くお母さんのように聞いてくれるのでありがたく思っている。
重岡大毅の話をしたときに彼女の口からふと出てくる「しげちゃん」が好きだ。
彼女の中での重岡大毅はあの頃のしげちゃんで止まっている。
あのとき、大好きだったしげちゃん。
それでよかった。
あのときを忘れないでいてくれたら、それだけでよかった。
二人でガチ恋をしていたあの頃、今思うとあれは恋ではないけれど、確かに彼らに焦がれてはいた。
誰もが通るかもしれないガチ恋とオタ卒。
話題になることがあるけれど(キモいとか、生産性がないとか)迷惑をかけなければなんでもいい、と思う。
SNSでアイドルにガチ恋をしている子を見かけるたび、この子はいつか大人になってしまうのだろうかと心配になる。
完全にいらぬ心配なのだけど。
けれどもしガチ恋を卒業しても、オタクを卒業しても、あのときあの人を好きだったこと、は忘れて欲しくないなと勝手ながらに思っている。
ガチ恋をしていたあの頃、わたしの世界は間違いなくキラキラしていた。
可愛くなりたいと思った。
良い人間になりたいと思った。
たくさん泣いたし病んだけど、親友とキャッキャ言い合う時間は最高に楽しかった。
きっとこれから先、わたしはガチ恋をすることはないと思う。
大人に、なってしまったので。
だけど、わたしはずっとあの頃のキラキラを覚えておくと決めている。
わたしはそのキラキラを握りしめて、明日も夢に縋り付くのだ!
____もう忘れちゃったの? あんな大事な約束を
もう失くしちゃったの? 輝く宝物____